目の疲れはストレス過多のシグナル

仕事でも家庭でも情報機器に囲まれている現代人にとって、日の疲れはつきもののようになっています。

たとえば、日の乾きを治そうと眼科で診てもらうと、「あ、ドライアイですね」と軽く診断され、とるに足うないことのように扱われてしまいます。

年齢的にまだ若いのに目が乾いてよく見えなくなるわけですから、本当はたいへんなことだと思います。ところが、あまうにもドライアイが急増しているせいでありふれた症状として扱われ、点眼薬の処方でもう終わりです。

なかには、生涯ドライアイとつき合っていかなければならない人もいますから、注意して自分の目を守っていかなければならない時代になったと、つくづく思い知らされます。

目の疲れを訴える人が急増している理由は、私たちが目を酷使しているからです。目を過酷なストレスにさらしている、といってもいいでしょう。

その昔、江戸元禄年間の日本で、大衆向けの出版物がはじめて大流行した時期があります。

それまで書物といえば、偉い人たちが読む記録書や思想書、あるいは取り決めが書かれた実用書ばかりでした。そういう書物は、ほぼ100%手書き写本だったわけですが、浮世絵の登場以来、俗に黄表紙といわれる大衆向けの印刷出版物が一世を風靡するようになったのです。

黄表紙は滑稽画の中に登場人物のせうふを描いた、現代でいえば漫画本のようなものです。お金に余裕のできた江戸の庶民は、新しい黄表紙が売うに出されると、先を急いで買い求めたといいます。

実は、大衆向けの出版物が大流行した江戸後期のころ、江戸の庶民の中に近眼が急速に増えています。

具体的にどのくらいの割合で増えたのかという数字は残されていませんが、「黄表紙を読みふけっているうちに目が悪くなった」「眼鏡を使用するようになった」という記述はあちこちに残っています。

こうした記録に接すると、人間の目がいかに弱いものであるかということに気づかされます。もともと目は、遠くを見ることは得意ですが、根を詰めて近くのものを見つめることに適した特性を持っていないのかもしれません。

デスクワークが中心の現代人は、遠いところを見てばかりでは仕事をすることはできませんから、最初から目を悪くしやすい環境に生きているといえます。そこにパソコンとのにらめっこという、さらなるストレスが重なります。私たちは二重の意味で、目を酷使しているわけです。

人間が生きるうえで必要な情報の8割は、視覚によってえられています。そのため、不調が症状として現れやすい器官といえます。

目が疲れてくると、たとえば肩や腰がこるなど、それが次第に身体のあちこちの不調につながっていきます。つまり、目の疲れは、そろそろ身体が限界にきていることのシグナルと捉えることができます。

同時に、それは目や身体が必要とする栄養素が足りなくなっていることのシグナルでもあります。

目が疲れてきたら、食事に注意して、栄養をとらなくてはいけないということです。現代人の日の栄養補給で私が最も大切だと思うものは、ビタミンCとビタミンAです。

まずビタミンCですが、これは″眼科で〃処方されることもあります。たとえば、長時間パソコン作業をしている人の血中ビタミンC濃度を測っていくと、それがどんどん減っていく様子がわかりますcビントの調節機能は自律神経の働きによっていますが、ビタミンCが不足すると、明らかにその機能が弱まっていくわけです。

ビタミンCが抗ストレス性を強化するために欠かせないことはすでに紹介しましたが、目を酷使すること自体がストレスですから、そのストレスに対抗する手段は、やはリビタミンCをとる以外にありません。そして、ビタミンCを十分にとると、その抗ストレス作用によって自律神経の働きが回復していくのです。